税理士の山脇です。
滋賀県での2城目は、安土城へ。
安土城は、織田信長が、1576年に標高199mの安土山に
天下統一を目標に築城した平山城です。
当時は、琵琶湖の内湖に囲まれ、南方のみが開けた地形で、
岐阜城よりも京の都に近く、北陸・東海を監視するのに適して
いたため、この場所にお城を築いたのだとか。
日本で、初めて、天守閣(天主閣)をもったのが、この安土城
だったそうです。
織田信長の権勢がうかがえる、さぞや、壮大かつ堅固な山城で
あったことでしょう。
1582年6月2日未明、明智光秀の謀反により、織田信長は
本能寺で自刀し、この安土城天主も、6月15日に何者かに
よって放火されてしまったそうです。
容赦ない日差しを浴びつつ、いざ、天主跡へ!
安土城の特色の一つが石段。
普通は敵の侵入を防ぐため、細く曲がりくねらすのですが、
この大手道は、幅が広く、直線的な階段で、戦闘用ではなく
信長自身の威勢を示すものであったと言えるかもしれません。
幅8m近く、一つの石段の高さが50cmほどもあり、私の歩幅
では、かなり厳しい造りとなっていました。
当時の人達は、かなりの健脚だったのでしょうね。
また、石段のところどころの踏石や縁石に石仏が使われており
「いいのかな?」との思いがしました。
合理的に、リサイクルの考え方からだったそうですが、うっかり
踏んでしまうと、バチが当たりそうな・・・・。
大手道を登っていくと、右に前田利家邸、左に羽柴秀吉邸。
武井夕庵邸まで登って、少し一休み。
暑さ厳しい中、かなりきつい階段でした。
石段は続きます。
安土城中枢部への入り口の一つ、黒金門跡。
使われている石がとても大きかったです。
お釈迦様の足跡を表現した、仏足石。
室町時代中期のものだそうで、築城当時は、石垣に
使われていたそうです。
かなり広い本丸跡。
建物は高床式で、天皇を招き入れる「御幸の間」も
あったそうです。
天主跡。
地上6階、地下1階の天主がそびえていたそうです。
一般的には「天守」と書くところを、安土城では「天主」という
字が使われるそうです。
信長は、自らを「天の主」と考え、天主を住まいとしていた
のだそうです。
摠見寺跡。
築城時に、他所より移築し、信長が自らの菩提寺にしたと
伝えられているそうです。
無神論者のイメージが強いので、意外な気がしました。
二王門。
棟木に「元亀二年(1571年)七月甲賀武士山中俊好建立」と
あり、信長が、天正年間に甲賀より移築したものだそうです。
とても古いものなのですね。
織田信長といえば、国盗り物語が浮かんできます。
今から40年ほど前に放送されたNHKの大河ドラマに見入り、
これに合わせて文庫本を読み漁った記憶も残っています。
戦国時代の英雄が、娯楽の雄でもあったわけです。
安土城の天主に立つ信長の勇姿に魅了されたのは
私だけではないのではないでしょうか。
最後は、本能寺の変で人生50年の幕を下ろすのですが、
彼の足跡には近代社会の礎となっているものが多く残されて
いるようにも思われます。
せっかくの城巡りですから、歴史に触れあうまでにならなければ
いけませんね。(苦笑)
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