2011年5月31日火曜日

世界禁煙デー

こんばんは。
税理士の山脇です。

本日、5月31日は、世界禁煙デーなのだそうです。

世界保健機構では、タバコを吸わないことが一般的な社会習慣
となることを目指して、5月31日を世界禁煙デーと定めているの
だそうです。

日本では、5月31日から6月6日までを禁煙週間とし、各地で
喫煙の危険性を啓発するイベントも行われるのだとか。

愛煙家の私にとっては、耳の痛いことであります。

いや・・・・私達、愛煙家の健康を心配し、また、タバコを吸わない
方への受動喫煙を防止するために、忠告、警告をしてくれている
のですから、有り難く耳を傾け、禁煙への意識を高めなければ
いけないのかも知れませんね。

先日のことですが、事務所で「禁煙のど飴」が購入されていました。

この飴をなめてからタバコを吸うと、タバコがまずくなるのだそうです。

とても苦い飴で、舌がピリピリし、なめた後にタバコを吸うと、確かに
まずく感じます。

タバコがまずくなるというより、この飴をなめた後は、ご飯ですら・・・
いいえ甘いチョコレートですらまずく感じるのではないかと思うくらい
ピリピリ苦い飴なのです。

タバコの品薄状態が続くなか、タバコを吸う本数も減ってきているし
この飴の力で、あとひと押しされ、これは、禁煙できるかも!

・・・と、ヒット商品扱いだったのですが、あまりの苦さに、最初に
1個ずつなめただけで、その後は、手つかずで残っています。

何かに頼っての禁煙もなかなか難しいものですね。(苦笑)

で・・・結局どうよってことですが、
はい、世界禁煙デーの本日も禁煙はできかねております・・・。

2011年5月30日月曜日

藤沢周平ファン

こんばんは。
税理士の山脇です。

事務所に1枚のポスター(・・・といってもチラシのようなものですが。)が
貼られています。

藤沢周平記念館の案内のチラシ?で、藤沢周平さんの
写真入りのものです。

ずいぶん前に、東北の観光案内のイベント会場の前を通りかかった
スタッフが貰ってきたもので、確か、このチラシが貼られる前には、
この場所には、e-TAXのポスターが貼られていたと思うのですが、
いつの間にか、すり替わっていました。(笑)

たまにスタッフが眺めているようですが、私などは、普段そこに
貼られていることすら忘れておりました。

そんな中、先週末に来られたお客様が、このチラシに気付かれました。

なんと!
その方も、藤沢周平ファンなのだそうです。

あの作品のどこそこが良かった、いや、こちらの作品も良かったと、
話題は一気に藤沢ワールドへ!(笑)

何度も何度も飽きることなく文庫本を読み返し、映画化されれば
映画館へ足を運び、藤沢周平ゆかりの地や映画のロケ地を巡る
のだとかで何度か山形県へも散策に出かけるなど、藤沢周平
大ファンのスタッフは大喜び。

派手さはないのですが、細やかな描写でその風景や状況が、
ぱぁっと頭に浮かぶような美しい文章に魅了され、素朴で清楚
ながら凛とした登場人物に一喜一憂し、人情味溢れる作品は、
心にどっしりと響き、一度読むと病みつきになる小説です。

このチラシの裏面には、藤沢周平のプロフィールや作風が簡単に
書かれているのですが、その中に、こんな言葉がありました。

「藤沢周平は、”名もない普通の人をえらいと思う”と言っていました。」

名もない普通の人をえらいと思う・・・
そういう作者の、温かさや、優しさ、偉ぶらない奥ゆかしさ、加えて強さが、
どの作品にも表れているように思います。

本当に、素晴らしい小説なのです。

梅雨に入り、これからお家で過ごす週末も多くなるかと思います。
是非、藤沢ワールドに足を踏み入れてみられてはいかがでしょうか。


2011年5月26日木曜日

梅雨入り

こんにちは。
税理士の山脇です。

朝からどんより曇った一日でしたが、とうとう雨が
降り出してしまいましたね。

本日より、近畿地方も梅雨入りしたのだとか。

平年より12日早く、昨年と比べると18日も早いのだそうです。

これから1ケ月程は、雨が多く、じめじめとした日が続くと
思うと、気分もどんよりしてきますね。

世間では、五月病や六月病なる言葉も飛び交っています。

新入生や新入社員が、新しい環境に適応できなかったり、
また、適応しようと頑張り過ぎて、肉体的にも精神的にも
体調を崩してしまうようで、GWを過ぎた頃や、新人研修が
終わって社会に出始めた頃に見られるのだとか。

ちなみに、五月病や六月病というのは正式な病名ではなく、
きちんとした定義や概念もないそうです。

4月には、誰もが新しい気持ちで気分もウキウキと明るく
なりますが、GWを過ぎた頃から疲れもたまり、それに
加えて梅雨入りとなると、新人さんでなくても気分は
落ち込みがちになりますね。

GW明けのことですが、うちのスタッフも、肩こり、頭痛、歯の
痛みを訴え、「これって、五月病?」と塞ぎこんでいました。

でも、スタッフは、新社会人ではないので、世間で言われている
五月病には当てはまらないと思ったのですが・・・(笑)

食べ物が噛めない程の歯の痛みに耐えかねて、知り合いの
歯医者さんに診てもらったところ、虫歯ではなく、歯ぐきが
炎症を起こしていたそうです。

GW明けは、疲れが出やすいのか同じような症状を訴える
患者さんが多いのだそうです。

何はともあれ、通院治療で痛みもすっかりなくなり、大事に
至らず安心しました。

梅雨に入ったことで、体調を崩す方も多くなるかもしれません。

体調管理にはくれぐれも注意して、それでも調子が悪くなったら
早め早めの治療を心がけたいものです。

2011年5月25日水曜日

ゴルフの幹事

こんばんは。
税理士の山脇です。

4月以降、ゴルフに行く機会が増えております。

今週は〇〇会、来週は〇〇会・・・というような、お付き合いの
一環ではありますが、ゴルフのお誘いが多くなっております。

暑くもなく、寒くもなく、ゴルフをするにはうってつけの季節に
なったからでしょうね。

東日本大震災により自粛ムードが広がっていた頃は、さすがに
延期や中止の声もあがりましたが、大先輩の「自粛、自粛と
言ってどうするのか!」の一言で、それもそうだと、頂いた案内
には「出席」と返信して、当日を楽しみに参加しています。

そんな中、ある会で優勝してしまいました。

喜び半分、悲しみ半分・・・

その会では、優勝者が次の会の幹事をすることになっているのです。

これまでは、参加することに意義を求め、練習なく即実践の
プレースタイルでしたので、優勝することなど想定外のことでした。

更に、運悪く?(笑)別の会でも幹事を引き受けていたため、
同時に2つの会の幹事をすることになってしまったのです。

今までは、参加者の一人として、当日のゴルフを楽しみにして
いれば良かったのですが、幹事となるとそうはいきません。

案内を出し、出欠を確認し、さらに組み合わせ表を含めた最終
案内を出し・・・と、当日まで手間暇がかかります。

ゴルフ当日も、会費を集め、プレーし、精算までと、何かと大変な
役回りで、周りの人に助けられながらも、無事終了をむかえると
ホッとするものです。

ちなみに事務所からは・・・
「もう、優勝してはいけないよ!」と釘をさされてしまいました。(苦笑)

調子が良ければ一打多く打つように、また右に打ちたくても左に
打つように・・・と、とにかく優勝はダメなのだそうです。

しかし、実際は、右に打ったつもりが左に飛んでいく腕前。
そんな調整はできるわけもありませんよね。(笑)

というより、プレー中は楽しみながらも必死です・・・。

これからは、今まで以上に、幹事さんへの感謝の念を抱きつつ
参加して、また、スコアアップにつなげていければと思っています。

  先週末の幹事一回目となったゴルフ。
  最高のゴルフ日和でした!

2011年5月21日土曜日

沖縄県 今帰仁城跡

こんばんは。
税理士の山脇です。

100名城スタンプラリー16城目は、今帰仁城跡に行ってきました。

「なきじんじょうあと」、「なきじんぐすくあと」と読むのですよ。
これもまた難しいですね。
恥ずかしながら最初は読めませんでした。(笑)

今帰仁城は、沖縄本島の北部、本部半島の今帰仁村にあったお城です。
別名、北山城。(ほくざんじょう、ほくざんぐすく)

沖縄本島の北部地域を北山、中部地域を中山、南部地域を南山が
それぞれに支配した三山時代に、北山王の居城として栄えたお城
なのだそうですが、いつ、誰によって築かれたのか、正確には
わかっておらず、発掘調査により13世紀頃には城造りをはじめた
のではないかと推測されているそうです。

武勇に優れ北部地域を統一し、北山王として富を築いた攀安知
(はんあんち)は、中山王の息子、尚巴志(しょうはし)によって
1416年(1422年説もある)に滅ぼされてしまいます。

山深い丘陵上にあった難攻不落の今帰仁城。
滅亡の影には、中山王に賄賂をもらって謀反を企てた家来、
本部平原(もとぶていばら)がいました。

尚巴志率いる連合軍は、本部平原の協力のもと、北山軍を
城外におびき出し、北山全軍が城外で戦っている間に城内に
侵入し今帰仁城を攻落したのだそうです。

攀安知は、守護神としていた霊石を斬りつけ、かえす刀で
自害しようとするのですがこれが切れず、腰の小刀で切腹
してしまったという可哀想なお話でした。

1422年以後、今帰仁城には監守が派遣され、監守の居城と
なりますが、1609年に薩摩軍による琉球侵攻にあい、お城は
炎上してしまったそうです。

監守が首里に引き上げてからは「御嶽」とし精神的拠り所として
参拝者が訪れる場所となったそうです。

圧倒されるような高い石垣です。
今帰仁城は、首里城に匹敵する規模だったそうです。
 
今帰仁城跡も世界遺産に登録されています。
平郎門。

今帰仁城の正門で、昭和37年に修復されたものだそうです。
門の天井には大きな一枚岩を乗せ堅牢な作りとなっており、
門の両脇には門番が見張りをする挟間があります。

七五三の階段。
平郎門から続く参道は綺麗に整備されていました。
旧道は、大きな岩盤の谷間を利用して、道幅を狭く造り、
敵兵が一気に廓まで入れないよう工夫されていたそうです。



城内で最も中心的な建物があった主郭(本丸)。
一番高い頂上にあります。

中国やアジア諸国との交易によって富を得ていたので
平らにする土木工事も難なくできたのだとか。

自然を利用した難攻不落の今帰仁城。
北山王の財力はものすごいものだったのでしょうね。

この日は結婚式が行われていました。
今帰仁城跡は、琉球七御嶽の一つで、凄く神聖な場所なのだとか。
全国的に注目を集めている世界遺産ウェディングができるそうです。
琉球衣裳をまとった、花婿さん、花嫁さんが素敵でした。


主郭から大隅が見えます。
戦時に備え馬を養い、兵馬を訓練した場所だそうです。

万里の長城を思わせる城壁。
(万里の長城へは行ったことはありませんが・・・笑)

遠くに海が見えます。
あいにく、この日から沖縄は梅雨入りし、時々小雨がぱらつき
どんより曇っていたのが残念です。
 
主郭から下へ降りて志慶真門郭へ。
城主に仕えた身近な人々が住んでいたそうです。

これは・・・どこでしょうか。(苦笑)
帰り道、参道をそれて迷い込んでしまいました。

地図で見ると大隅か・・?




右の写真は、古宇利殿内(ふいどぅんち)。
祠は古宇利島のある北東を向いていて今帰仁村の唯一の
離島である古宇利島の人々が旧8月に遙拝するそうです。

平成22年に古写真をもとに移築、復元されたものだそうです。





城壁の曲線が本当に素晴らしい!

曲線にすることで、より堅固となり、また、敵を攻撃しやすいという
防御性に優れているそうです。





平郎門の手前にあった、さとうきびのジュース屋さん。

城内散策後には喉もカラカラ。
甘くて冷たいさとうきびシューズが美味しかったです。

このお店では、さとうきびジュース作りの体験もできるのですよ。










沖縄でまわった3城は、今までお城巡りをして見たお城とは
全く雰囲気の異なるものでした。

なかでも、美しい曲線を描く高い城壁には圧倒されました。

今回は、100名城に選定されたものだけしか見ることが
できませんでしたが、他にも、勝連城跡や、座喜味城跡など
世界遺産に登録されているお城があります。

是非、機会を作って、まわってみたいと思いました。

2011年5月18日水曜日

クールビズ

こんばんは。
税理士の山脇です。

皆さんの職場でも、そろそろクールビズがスタートした所が
多いのではないでしょうか。

環境省では、地球温暖化対策の一環として、平成17年度より、
冷房時の室温28℃でも快適に過ごすことのできるライフスタイル
「クールビズ」を推進してきました。

例年であれば、6月1日から9月30日までだそうですが、
今年は、東日本大震災の影響を踏まえ、実施期間を1月
前倒し、1月延長して、5月1日から10月31日で実施する
ことが政府でも決定され、それに倣って、各企業などでも
例年より早い実施となっているようです。

先週のことですが、私、山脇も、とある場所で、
「先生、ネクタイを外してください。クールビズです。」
と注意を受けました。(笑)

クールビズがスタートしていることを忘れ、つい、うっかり、
ネクタイ姿のままでいたのです。

郷に入れば郷に従え・・・慌ててネクタイを外した次第です。

少し話がそれましたが、さらに、驚くなかれ!

環境省は、今年の夏は電力供給不足が予想されることから
冷房の使用を減らして節電を徹底するため、これまでの
取り組みより一層の軽装を促す「スーパークールビズ」を
6月から実施すると決定したそうです。

「スーパークールビズ」では、ポロシャツやアロハシャツ、
無地のTシャツ、ジーンズ、スニーカー、サンダルでの
勤務もOKなのだとか。

ただし、Tシャツは執務室内に限りOKで、ジーンズは
破れてだらしないもの、ビーチサンダル、短パン、
ランニングシャツはダメだそうです。(笑)

「状況に応じた節度ある着用を求める方針」と説明していますが、
毎朝、着ていくもので頭を悩ませそうですね。

何はともあれ、節電効果があがり、仕事に支障がでなければ
何を着ていても問題はないということでしょう。

自分達の職場のクールビズ定義に合わせて、快適に仕事が
できるよう努めたいものです。

2011年5月11日水曜日

本日のおやつ

こんにちは。
税理士の山脇です。

本日のおやつは、パッションフルーツでした。

そうです。(笑)
GWに行った沖縄からお土産として送ったものです。

パッションフルーツをはじめ、パイナップルにスターフルーツ、
パパイヤ、マンゴー、ドラゴンフルーツ、島バナナ・・・
沖縄では、たくさんの果物を目にし、食べることができます。

しかも、大阪で買うよりずいぶん安い!

あまり安すぎたり、時期外れのものには、輸入品も含まれて
いるそうですので、ちょっと注意が必要なのだとか。

せっかくですので、沖縄産の旬の果物を食べたいですよね。

やんばる物産センターのお店の人に相談しながら、
どど~んと買ってしまいました。(笑)

やんばる物産センターは、沖縄県内第1号としてオープンした
道の駅で、農家直送の新鮮な野菜や果物、沖縄の特産品が
所狭しと並べられています。

美味しいもの、珍しいものがたくさんあり、沖縄のお土産を
買うにはお薦めの場所です。

さてさて、パッションフルーツのパッションとは、「キリストの受難」
のことで、花の形がキリストが十字架にかけられた姿に
似ていることからこの名前が付けられたそうです。

和名では、クダモノトケイソウといいます。

花の形が時計に見えるため、そう名付けられたのだとか。

見る人や見る地域によって名前も異なるのですね。(笑)

原産地は南米で、日本には明治時代に入ったそうで、
沖縄や奄美諸島などで作られています。

パッションフルーツには、βカロチンが豊富に含まれており、
また、カリウム、ナイアシン、葉酸、ビタミンB6も多く含まれて
いるため、老化防止、視力保持、高血圧予防などの効能が
あるそうです。

表面がシワシワになって、甘い香りがしてくると食べ頃なのだとか。
ちょっと早いのか、シワシワ感はあまり出ていませんが、美味しそうな
甘い香りがしていました。

冷蔵庫で冷やして、半分に割ってスプーンですくって食べます。
種ごと食べられるのですよ。
カリカリしていて、簡単に噛み砕くことができます。
大阪は昨日からの雨が続いていますが、甘酸っぱい
パッションフルーツを食べ、気分も爽やかになりました。

2011年5月10日火曜日

沖縄県 中城城跡

こんばんは。
税理士の山脇です。

100名城スタンプラリー15城目は、中城城跡に行ってきました。

「なかぐすくじょうあと」と読むのですよ。
難しいですね。(笑)

中城城跡は、沖縄県の中部地区に位置し、屋宜の港から
2㎞ほど離れた標高約160mの石灰岩丘陵上にあります。

中城村の西北から北中城村の南側にのびていく丘陵の東崖縁を
天然の要害とし、守りやすく攻めにくいお城となっていました。

築城年代は不明なのですが、14世紀後半頃まで先中城按司が
数世代にわたり、西の郭、南の郭、一の郭、二の郭の主な部分を
築き上げ、1440年に読谷の座喜味グスクから移ってきた護佐丸
によって、北の郭、三の郭が増築され現在のグスクの形が完成した
と伝えられているそうです。

「按司(あじ)」とは、12~16世紀に農村集落を基盤として群雄割拠
した領主的豪族層のことをいいます。

護佐丸は、王様の命令により、その頃勢力を伸ばしてきていた
勝連城主の阿麻和利(あまわり)を牽制するため中城城に移った
のですが、天下を狙う阿麻和利の讒言により、王様に謀反を
疑われてしまいます。

王様も最初は、阿麻和利の言葉を信じなかたったそうですが、
たび重なる忠告に自信も揺らぎ、家臣に中城城の様子を見に
行かせたところ、護佐丸が兵士を訓練しているところを目撃し、
びっくり仰天した家臣は王様に「謀反の疑いあり」と報告して
しまったそうです。

報告を聞いた王様は、阿麻和利に、護佐丸討伐を命じます。

護佐丸は、攻めてきた阿麻和利軍を見て謀りごとと見抜きつつも、
掲げられている旗が首里王府軍の旗だったため、「王府軍には
逆らえぬ」と幼児だった三男のみを乳母に託して落ちのびさせ、
妻子もろとも自害してしまいます。

阿麻和利といえば、その後、讒言だったことがばれて王府軍に
滅ぼされたと伝えられているそうです。

王様への忠誠心を貫いた護佐丸の何とも可哀想なお話でしたが、
大きな勢力が二つも滅んだことにより、一番得をしたのは誰か・・・
真の黒幕は一体誰か・・・

勝手に想像して、ちょっぴりサスペンスっぽく、ガイドさんのお話を
聞いていた私でした。(笑)

ちなみに、このガイドさんですが、ボランティアガイドさんで、城跡内を
無料で案内してくださいます。

1時間ほどで城内を回るのですが、上に書いた護佐丸のお話など
パンフレットに載っていないお話や、見て回るだけでは気付かない
ことをわかりやすく説明していただけるのです。

中城城跡に行かれるのなら、ガイドさんをお願いすることを
お薦めします。

さてさて、話が少しそれてしまいましたが、中城城は、護佐丸
滅亡後に王府の直轄地となり、その後1470年頃からは、
世子である中城王子の採地となったそうです。

明治になってからは、番所の一室に中城小学校が開設されたり、
中城村役場が置かれたりしたそうですが、小学校は移設され、
役場は第二次世界大戦で焼失してしまったそうです。

戦後は、中城公園として遊園地などの施設が隣接されたそうですが
今は、記念運動場が残っているだけでした。

昭和47年には、国の史跡に指定され、平成12年には世界遺産に
登録されたそうです。

中城城跡は、去る大戦の戦禍による被害が少なく、沖縄県内の
グスクの中でも最も原型を留めているのだとか。

写真右は、東に向かって建てられた裏門。
ペリー探検隊一行が、エジプト式と評した精巧なアーチとなっています。

アーチの右側は、石積み技法の最も進んだ相方積み(亀甲乱れ積み)
なのだそうです。

中城城は、裏門から入って奥に行くほど石の積み方が古い方法だそうで、
増築、増築されてきたことがわかるのだとか。

 
北の郭と三の郭。

三の郭は、新城(ミーグスク)とも呼ばれ、こちらも相方積み(亀甲乱れ積み)によって築かれています。

強度と耐久性に富む積み方なのだそうです。

亀の甲羅のような石が綺麗に積み上げられていました。

護佐丸により増築されたところですね。

 
北の郭にある大井戸(ウフガー)。

城郭内に水を確保していることが、このお城の特徴でもあるそうです。

西の郭にも夫婦井戸(ミートゥガー)と呼ばれる二つの井戸があるのだとか。









二の郭。
曲線が本当に美しい!

二の郭と一の郭の石積み技法は布積み(豆腐積み)だそうです。

確かに、豆腐のような四角い石が積み上げられていました。









曲線が綺麗な石垣には登ることができます。

二の郭の石垣の上から見た三の郭。
石垣は幅も狭く、結構な高さがあり、足が震えました。
下から見ると綺麗な曲線なのですが、登って歩くと曲がっている分
恐さが倍増します。

石垣の上からは、西に東シナ海、東に太平洋、勝連城のある勝連半島
などが見渡せます。

あいにく梅雨入り前で、どんより曇っていたのが残念です。









城内には、8つの拝所があるそうで、今も拝む人が絶えないそうです。

写真左は、二の郭にあるシライ富ノ御イベ。
写真右は、一の郭にあるチゲー御嶽。









写真左は、南の郭にある雨乞いの御嶽。

南の郭は、野面積み。
自然の岩や石をそのまま組み合わせる、最も古い技法なのだそうです。


  写真左は、南の郭にある九高遥拝所。

写真右は、南の郭にある首里遥拝所。

 
互い違いの階段になっています。

上級武士と平武士を分けて歩かせたという説と、二人で何かをかついで
運ぶ際に片方が一段ずらして登ると平行になって登りやすくなるため
互い違いにしたという説があるそうです。

1853年に来島したペリー提督も賞賛したといわれる中城城。

写真右は、互い違いになった階段を下りて下から撮影したものですが、
「西の郭より正門を望む」という、ペリー探検隊一行の画家ハイネの絵にも
しるされています。










写真左は、第二次世界大戦当時、日本軍が防空壕を作ろうと
工事を始めた跡なのだそうです。
石垣の構造がとても堅固で作業が難航し、諦めて撤退したのだとか。

この部分の石垣を取り払われていても、上から崩れてくる気配なし。
恐ろしく頑丈な作りなのですね。

写真右は、西の方角へ向けて建てられた正門。
門を挟むように両側に石垣がせり出し、ハンタ公(公道)に向けて
挟間が作られています。

侵入した敵を攻撃しやすいのだそうです。

   
カンジャーガマと呼ばれる鍛冶屋跡。

護佐丸が阿麻和利に備えるために武具を造っていたとも
伝えられているそうです。









この中城城跡、ペリー提督の言葉ではありませんが、セメントも無い
時代にこれだけのもが築け、かつ、今なおそれが残っているとは
その建築技術の高さに驚きます。

もう一度来たいお城の一つになりました。
次は、快晴の日に!(笑)