2012年4月30日月曜日

高知県 高知城

こんばんは。
税理士の山脇です。

連休初日、高知県は高知城に行ってきました。

高知城は、高知市の中心地にあり、山内一豊によって築かれた
平山城です。

築城に際し、「百々越前(どどえちぜん)」という築城の名手を招き、
10年の歳月をかけ、1611年に完成したのだそうです。

別名、鷹城。


江戸時代のお城で、天守閣と追手門がそろって残っているのは、
全国で3ヶ所だけで、その一つが高知城なのだそうです。

また、天守閣と追手門が、1枚の写真に収まるのは、高知城のみ
だそうです。

どうでしょうか。
綺麗に撮れていますでしょうか。(笑)


一豊の銅像。
関ヶ原の合戦で功績をあげ、土佐24万石の初代藩主となったのです。


石樋。
お城の排水が石垣にあたらないように作られたもので、城内で16箇所が
確認され、本丸の石樋は今でも現役だそうです。


また、高知城では、お城全体の雨水を、3方向に「らせん状」に平均して
排出するように作られているのだとか。

雨の多い高知ならではの工夫がされているのですね。

一豊の妻の銅像。



内助の功、良妻賢母といえば、「一豊の妻」でしょうか。

10両という大金を出して名馬を買わせ、「馬揃え」という儀式で
織田信長の目にとまったのが一豊の出世のもとになったという
有名なお話がありますね。

この10両、奥さんの財布からポンと楽々出たわけではありません。

これは、嫁入りの際に持たせてもらったお金で、「どんなに貧しくても
使ってはいけません。夫の火急の時にこそ役立てなさい。」と母から
念を押されていたものなのです。

生活が貧窮しようとも教えを守り、夫のいざという時に役立てたという
なんともいいお話です。(笑)

三の丸石垣。

築城の際、一番最後に完成したそうで、自然石の形を生かした野面積み
となっています。

高知城の石垣は、近江の技術者集団「穴太衆(あのうしゅう)」による
もので、崩れにくく、排水能力の高い野面積みが多く採用されている
そうです。


天守まであとわずか。
この辺りから息もたえだえになってきました。(苦笑)


3層6階の天守閣。

内部はすべて昔のまま残されており、本丸御殿・東西の多聞と廊下門・
黒鉄門など、本丸の全部の建物が完全に残っているのは全国で高知城
だけなのだそうです。

天守閣内は、ひんやりとした空気に包まれていました。

鉄砲挟間。
鉄砲は床に座って撃つため、窓より下に穴が設けられているそうです。

かなり下にあるため、てっきり、寝転んで撃つのかと思いました。(苦笑)

小さい扉がついていました。
ちゃんと開閉して、精巧な作りになっています。

天守閣からみた三の丸。
心地よい風に、すっかり汗もひきました。


板垣退助の銅像。
お家は、代々山内家の家臣だったそうです。

ちなみに、退助自身は、坂本龍馬の2歳年下だそうで、なんとなく
意外に思ってしまいました。(苦笑)




南海の名城といわれる高知城。

その雄姿に、「お城を見た!」という気分になりました。

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