2012年9月16日日曜日

京都府 二条城

こんばんは。
税理士の山脇です。

京都にある二条城に行ってきました。

二条城は、1603年に徳川家康が京都御所の守護と将軍上洛の際の
宿泊所として建築した平城です。

1603年に家康が初めて入城した時は、現在の二の丸部分が完成して
いたそうで、その後、三代将軍家光が伏見城の遺構を移すなどして
1626年に現在の規模となったのだとか。


東大手門より、いざ入城!

連休ということもあるのでしょうか、たくさんの方が来られていました。


二の丸御殿。


遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院の6棟が東南から
西北にかけ雁行に並んでいます。

建物面積は、3300㎡、部屋数は33部屋、畳は800畳余りあるそうで、
入り口からは想像できないほど広い建物でした。

二の丸御殿内は見学はできるのですが、障壁画保護のため撮影禁止と
なっていました。

よって、少しだけ文章で紹介。(笑)

入ってすぐに、「遠侍 柳の間・若松の間」があり、ここには目付役が控え、
来殿者の受付をしたそうです。

そのお隣には、「遠侍 一の間から三の間」があり、城へ参上した大名の
控室だったそうです。

ここは、「虎の間」とも呼ばれ、襖には虎と豹の絵が描かれていました。

ちなみに、各部屋の障壁画は狩野派によるもので、部屋の目的に応じて
描かれているそうです。

また、この、一の間・二の間で、家康は、豊臣秀頼と会見したそうです。

大広間ではなく、大名の控室で・・・と少し驚きました。

続いて式台の間を通り、大広間へ。

大広間は、将軍が諸大名と対面した部屋で、二の丸御殿内で最も格式の
高い部屋だそうです。

1867年、第15代将軍慶喜は、この部屋で大政奉還を発表したのだとか。

歴史的な部屋に感動した後は、さらに奥へと進み、蘇鉄の間、黒書院、
白書院をまわり、約30分ほどで、二の丸御殿内の散策を終えました。

外に出て、二の丸庭園へ。

池の中央に蓬莱島、その左右に鶴亀の島を配した書院造庭園で、
小堀遠州の作と伝えられているそうです。

綺麗な庭でした。



本丸櫓門を渡り、本丸御殿へ。


本丸は、1626年家光の命により増築されたものですが、1750年の
落雷により天守閣は焼失、1788年には大火による類焼で本丸内の
殿舎も焼失したそうです。

現在の建物は、京都御苑内にあった旧桂宮御殿を移し建てたものなの
だとか。


天守閣跡。

天守台のみ残っていました。


天守閣跡からみた本丸御殿と庭園。


二条城の保存修理のための募金の受付がされていました。

その名も「一口城主募金」。


200円以上の募金をするとバッジが貰えます。


私も200円募金をし、バッジを貰い、一口城主となりました。(笑)

二条城散策(特に二の丸御殿散策ですが)は、各部屋の障壁画、欄間の
彫刻、飾金具などの豪華さに圧倒され、また、江戸幕府の始まりと終わり
を象徴するかのような歴史ある建物に本当に感動しました。

それに、二の丸庭園、本丸庭園、清流園、緑の園と庭がたくさんあり
綺麗に整備された庭散策も気持ちよく、楽しいものでした。

二条城、お薦めの場所です。
是非、足を運んでみてください。

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