2013年4月20日土曜日

兵庫県 篠山城

こんばんは。
税理士の山脇です。

兵庫県は篠山市にある、篠山城に行ってきました。

久しぶりのお城めぐりです。(笑)

篠山城は、1609年に、徳川家康が、大坂城の包囲と、豊臣家ゆかりの
西日本の諸大名を抑える拠点とするために、当時、「笹山」と呼ばれた
独立丘陵を利用して築いた平山城です。

初代城主は、家康の実子、松平康重。

築城工事は、旧豊臣大名の経済力を弱めることを目的に、西日本の
15カ国20諸候の大名に夫役を命じた天下普請で行われ、わずか
1年足らずで完成したのだとか。

ちなみに、城の縄張りは、藤堂高虎によるものだそうです。

さすが、築城の名手、このお城でもその名を聞くことができました。(笑)

それでは、散策開始!


篠山城跡の桜開花基準木。

高垣やお堀のまわりには、たくさんの桜の木がありました。

今年の桜の時期は終わってしまったようで、とても残念でした。

枡形。

大手門と鉄門との間にある、侵入した敵軍の動きを妨げるための
方形の広場だそうです。

石垣は、野面積みと、出角は、算木積み。


鉄門跡。

二の丸へ至る、最後の門の跡で、発掘調査の結果、東西の幅約5m、
奥行き4.5mの大きさで、東側石垣高さ4mと、西側石垣高さ4.5m
との間に造られた厳重な構造であったことが明らかになったそうです。


史料館となっている大書院。

大書院は、築城とほぼ同時に建てられ、藩の公式行事などに使用され、
廃城後も小学校や女学校などに利用されていたそうですが、昭和19年
1月に火災で焼失したものの、平成12年3月に復元再建されたそうです。

なんと! 総工費約12億円!

京都の二条城の二の丸御殿に似た、大きく立派な建物でした。



二の丸御殿跡。


主に藩主の生活の場だったところだそうです。

御休息の間や、台所、厠など各室をみかげ石で区切り、部屋名が
表示されていました。

総工費約1億1千万円なり。


埋門跡。

非常時には埋めて遮断することになる門。

この門の周辺の石垣には、篠山城内で最も多くの符号、刻印が
あるそうです。

築城時に普請総奉行を務めた、池田三左衛門輝政の名を印した
「三左之内」という刻印も残っているそうです。

その刻印は、門の外側で見られるそうで、残念ながら見ることが
できませんでした。

見たいと思われる方は、三の丸の南側から埋門へお上がりください・・・
とのことでした。(苦笑)


本丸跡。



いざ、天守台へ。


天守台は、本丸南東部の城内で最も高く、奥まったところにあります。

天守閣は、江戸幕府の指示により、造られなかったそうです。



今年初めてのお城巡りは、花冷えの1日で、ぶるぶる震えながらの散策と
なってしまいました。

・・・が、やっぱり、楽しかったです。

今年は、いくつのお城をまわれるか。

のんびり、楽しみながら、お城巡りを続けたいと思います。(笑)

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