2010年7月20日火曜日

岡山 名城めぐり

こんばんは。

近畿地方でも梅雨明けの発表があり、一気に夏本番!という
3連休でしたが、皆さん、いかがお過ごしでしたか?

私、山脇はといいますと・・・「日本100名城スタンプラリー」に
興味を抱き、さっそく岡山に向かいました。

日本100名城とは、財団法人日本城郭協会が、日本国内の
名城と呼ばれる城郭の推薦を呼びかけ、専門家などによる
選定の結果、発表した100城をいうそうです。
各県1城以上、5城以内で、北は北海道から南は沖縄まで
100のお城が選定されています。
どこからまわるかは個人の自由。
特に岡山からという指定などはありません。(たぶん・・・)
せっかくの3連休でしたので、うち2日を使い、近からず遠からず
という理由で岡山行きを決定しました。

なんと、この岡山県、名城に選定されたお城が4つもあります。
熟慮の結果、まずは岡山城へ。

岡山城は、黒い下見板張りの外観から烏城とも呼ばれ、最上層を
金箔の瓦で葺き、金の鯱を上げていたと伝えられ、金烏城の別名が
あるとのこと。
確かに、初めてみる黒いお城には驚かされました。





南北と東西の幅が異なり、何層何階というのが、一見して
わかりづらいお城です。

岡山城は複合式天守閣。
天守閣の西側3分の1は塩蔵と呼ばれる別の櫓がくっついています。




なんと!
天守閣内にはエレベータが設置されておりクーラーもよくきいていました。











続いて、総社市にある鬼ノ城へ。
鬼ノ城は、日本の古代山城で標高400mの鬼城山に
築かれていました。

663年の白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗し、敵国の進攻に
備えるため、西日本の要所には朝鮮式山城が築城されたことが
日本書紀には記されているそうですが、記録にはない朝鮮式山城と
同種遺跡の古代山城が16城あり、鬼ノ城もそのひとつと考えられて
いるそうです。

・・・・つまり、鬼ノ城とは、とても古い山のお城なのです。

長い坂道をあがると
遠くに西門がみえてきました。







         
  復元された3階建ての西門


   正面と側面から攻撃できる
   防御施設である角楼




この鬼ノ城、山全体をさして「鬼ノ城」というらしく、お城と聞いて
思い浮かぶ天守閣等は見当たりません。


道行く観光客の方々(地元の方も来られていました)と情報交換
しながら進もうとするのですが、お互いに自分のいる場所も、どこに
向かえば何があるのかも、うまく説明することができません。
とにかく恐ろしく広大なのです。

汗だくになりながら下山し、高梁市へ車を走らせました。
高梁市で1泊し、2日目は備中松山城へ。



備中松山城は標高430mの高さに建ち、天守の現存する山城としては
最も高いところにあるそうです。
白い漆喰塗りの壁と、黒い腰板の本当にきれいなお城でした。


















 
登城坂の周囲は高さ10m以上の
巨大で切り立った岩壁がそびえ
まさしく難攻不落の名城!






















           
城主の、食事や暖房用に用いられた囲炉裏。
天守の中にあるのはめずらしいのだそうです。



続いて、津山市にある津山城跡へ。

津山城は、初代津山藩主 森忠政が13年ほどかけ、鶴山に
築いた平山城だそうです。

石垣が本当に見事なお城でした。














ちなみに、森忠政・・・誰の弟さんかご存知ですか?
かの有名な織田信長の小 姓 森蘭丸の弟さんです。
少し親近感がわきました。(笑)





  天守閣の跡地だそうです。






2日間で4城というかなりハードな旅でした。
もう少し、歴史やその町について勉強をしていけば
もっと楽しめたのではないかとも思いました。


とくに高梁市・・・歴史を感じる本当に素晴らしい街で、
もう少しゆっくり散策してみたかったです。

残り95城。
今回の4城を教訓に、もっと理解を深めながら、
もっと楽しんでまわれるようにしたいと思います。

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